母が認知症だと気づいていなかった頃

母の認知症を通して気づいた、昨日の続きです。

4~5年前のこと

この頃はまだ母が認知症だとは気づいていなかった頃です。

元々母はネガティブな人で、自分の思い通りにならないと厳しい口調で責める人でした。

他人には礼儀をふるまっていましたが、私や子供たち(母にとっては孫)には日常的に攻める癖がついていたので、子どもたちは「あーちゃんは嫌い」と言うようになりました。

それでも、68歳の頃に母も大きく変わりました。

この頃にエネルギーについて学ぶようになり、レイキを身に付けて、私もびっくりするくらい、とても暖かいエネルギーを放出するようになり、様々な人を癒すようになったのです。

この頃ハワイに住んでいましたが、日本に帰ってきた母をみて、「あーちゃんの着ぐるみを誰かが来てるの?」て言われるくらい、母の内面が変わってました。

私たちに対する接し方も柔らかくなって、それに慣れて、ホッとしていました。

そこから5、6年たち、「新しい母」と過ごしていたところで急に感情が時々乱れるようになったのを覚えています。

最初は時々だったので、なんでだろう~?と思うぐらいでしたけど、今思えばそこから認知症が始まっていたのでしょうね。

私が具合悪くしていると、泣きながら心配をしたり、ちょっとしたことで怒ったりしていたので、また前の母が戻ってきたと思いました。

その後も、一つのことにこだわって、何日間も同じことで文句を言っては、感情的になっていました。

でも、このころは認知症とは思わなかったので、私は「また始まった!」としか思えませんでした。

この頃に思い出す文句の一つが「私は洗濯ババじゃないんだからね!」です。

娘(母の孫)が出産をした後、「帰ったら大変だからうちに来るように言いなさい」と自分から誘っているのに、実際に我が家に赤ちゃんを連れて里帰りしている娘に言った言葉です。

また、弟家族がはじめて日本に遊びに来てくれた時、私たちがドライブから帰って来たら、弟家族の洗濯を母が済ませていて、弟嫁嫁に対して言った言葉です。

どちらの言葉にも怒りが込められていて、みんなをびっくりさせました。

認知症とは気づいていなかったので、本当に悲しかったのを覚えています。

それから半年間、「前に戻った母」と付き合いました。

この頃は仕事も忙しかったので、出張中は「気を紛らわす」こともでき、色んなことにタッピングをすることもできていたので、表面的には毎日をこなすことができていました。

でも、昨日も書いたように、そこにはさらに40年前の出来事がまだ癒されていなかったから、表面的にしか感情解放が出来ていなかったのです。

それでも、タッピングをすることで毎日を乗り越えることができ、楽しい時間も味わうこともできていました。

「もし、タッピングがなかったなら~」と感謝しながら思っていた自分もそのころいました。

認知症を患っている家族のケアをされている方の気持ちが分かりました。

ニュースで見る、認知症のケアをしていた人々の悲しい事件の理由も理解できます。

認知症の介護が、外から見る以上に大変だと言うのを身に染みて分かりました。

そして、これからその体験を、介護をされている多くの人にいろんな形でシェアしながら、心身の平安を感じていただけるように貢献できたらと思います。

そのための貴重な体験だったと思います☆

「よく頑張ったねって」自分を褒めたいとも思います~(*^-^*)

今、母は入院をしていて、入院期間が終わったらケアハウスに行く予定です。

不思議なことに、母とは今とても穏やかに話ができ、一緒に笑うこともあります。

母の話しはいろんな時代に飛んで、「今」何年前なんだろうと?と考えながら話をしています。

この様に話せるようになった「今」が嬉しいです☆

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