自分に向き合うことで自分を大切にする

月曜日、母がリハビリ病院から リハビリの施設に転院しました。 夏ごろから待ちに待った移動で、 今回は無時にできたことに感謝を していたのですが、転院後から 私自身が体調を崩してしまい、 日に日にエネルギーが落ちていくのを感じました。 風邪の症状や頭痛もなく、 どこかが「悪い」という症状は ないのに、ただただエネルギーが 吸い取られていく感じで、 なぜだろうと思いながら過ごしていました。 娘にその状況について話していたら 「今回の移動先の環境でショックを 受けてるんじゃない?」 って言われて「はっ」としました。 今回の施設では認知症の方専用の 病棟に母は入りました。 そこには様々な段階の認知症の 方がおられて、重症の方もいます。 その中でニコニコと対応をされて いるスタッフがいますので、 納得をして安心してた「意識的な」 自分がいました。 でも、無意識には入所されている 認知症の方々の状況やエネルギーを 深く感じてしまっていたようです・・・ 娘に言われて、そのことに気づかされ、 直ぐにタッピングしました。 すると重たかった心身の「ショック」 が9から4まで下がり、やっぱり そうだったのかとあらためて気づきました。 見ようとしていなかった自分、 見たくなかった自分がいることに 気づかされた出来事です。 母について認めたくなかった 自分がいて、潜在意識はそれを 隠そうとしていたけれど、 認めないことでもっと大きく 負担を感じてしまうことを再度学びました☆ スタッフのみなさんが良かったこと、 環境も安全だということを「考える」 ことで「嫌な面」を見ないように していたのです。 変化というのは時には辛く 感じたり大変だったりしますよね。 でも、認めない限りは、気づかない うちに心身共に消耗してしまいます。 ちゃんと向合って、変化が起きて いることを認めることで、 負担も軽くなり、前に進みやすくなります。 今の環境が気に入らなくて、 不満を言う母ですが、それに 落ち着いて対応できる今の私に感謝しています☆ まずは自分を大切にする♡ そこには自分の気持ちに 向き合い、つらいと思っている 自分を認めてあげることも含まれます。 タッピングしながら、 思いっきり泣いたら、 ずいぶんと楽になりました~( *´艸`) 自分をごまかさない。 泣きたい自分を認める。 そして、良いんだよって慰めてあげる。 これもすべて自分を大切にしていることになります~♡

認知症と分かっていても、感情が先き走りする

思考は分かっていても、感情が抑えきれないことがあります。 これは認知症の関係だけに限らず、みなさんも何らかの形で経験されていると思います。 感情やメンタル面の仕事をしているだけに、私もこのことは十分分かっているのに、それでも感情に負けてしまうことがありました。 何度も「認知症なんだから」と自分に言い聴かせながら「我慢」をしていましたが、毎日の状況が重なって行くうちに我慢の袋が破けてしまいます。 それを再び縫っても、縫い目からまた裂けてしまい、感情がまたあふれ出ます。 その都度、タッピングをしながら、再び我慢の袋を縫っている感じになっていましたが、とりあえずはその時に感じている感情の苦しみからは解放されるので、それで一息をしている自分がいました。 でも結局、私は認知症と向合っているのではなく、今までの母と向合っていたのです。 いくら「認知症だから」と思っても、感情は今までの私や子供たち、そして孫たちにまで辛い思いをさせてきた、母と向き合っていたことに気づきました。 前の投稿でも書きましたように、母は自分の孫にも厳しく、特に娘は何度も辛い思いをしています。 それに加え、認知症の症状が出始めた頃には、まだ小学生だった孫たちにも辛い思いをさせています。 そのことが許せなかった自分がいました。 だから、頭でいくら「認知症なんだから」と分かっていても、母の言動でショックを受け、泣いている娘や孫たちの姿が浮かんできます。 あれから4年半ほどの時間が経ちました。 今、振り返って感情に意識を向けると、あのころ10以上の怒りを感じていた私は、今は1ぐらいになっています。 かなりタッピングをしました。 「0」ではないけれど、10に比べると大きな自由を感じます。 残っている「1」というのは子どもたちや孫たちに向けている感情かもしれません。 あぁ、「辛い思いをさせてしまった」という思いがあることに、今、書きながら気づきました☆ 「守って上げれなかった」という思いが残っていました~(^^; これもタッピングできますね☆ このように書かせていただきながら、自分のことを更に気づけるようになってきています。 自分がさらに変わっていくのを感じます。 感謝です♡ 私と同じように厳しい親との過去があったり、介護で辛い思をされた方、今でもされている方が沢山いると思います。 親とは関係なく、今試練を感じている人もいるかもしれません。 そこで覚えていてほしいことがあります。 辛い経験は必ず過去になる日がきます。 その時に、その過去を振り返って、「今」は自由だと感じてください。

母が認知症だと気づいていなかった頃

母の認知症を通して気づいた、昨日の続きです。 4~5年前のこと この頃はまだ母が認知症だとは気づいていなかった頃です。 元々母はネガティブな人で、自分の思い通りにならないと厳しい口調で責める人でした。 他人には礼儀をふるまっていましたが、私や子供たち(母にとっては孫)には日常的に攻める癖がついていたので、子どもたちは「あーちゃんは嫌い」と言うようになりました。 それでも、68歳の頃に母も大きく変わりました。 この頃にエネルギーについて学ぶようになり、レイキを身に付けて、私もびっくりするくらい、とても暖かいエネルギーを放出するようになり、様々な人を癒すようになったのです。 この頃ハワイに住んでいましたが、日本に帰ってきた母をみて、「あーちゃんの着ぐるみを誰かが来てるの?」て言われるくらい、母の内面が変わってました。 私たちに対する接し方も柔らかくなって、それに慣れて、ホッとしていました。 そこから5、6年たち、「新しい母」と過ごしていたところで急に感情が時々乱れるようになったのを覚えています。 最初は時々だったので、なんでだろう~?と思うぐらいでしたけど、今思えばそこから認知症が始まっていたのでしょうね。 私が具合悪くしていると、泣きながら心配をしたり、ちょっとしたことで怒ったりしていたので、また前の母が戻ってきたと思いました。 その後も、一つのことにこだわって、何日間も同じことで文句を言っては、感情的になっていました。 でも、このころは認知症とは思わなかったので、私は「また始まった!」としか思えませんでした。 この頃に思い出す文句の一つが「私は洗濯ババじゃないんだからね!」です。 娘(母の孫)が出産をした後、「帰ったら大変だからうちに来るように言いなさい」と自分から誘っているのに、実際に我が家に赤ちゃんを連れて里帰りしている娘に言った言葉です。 また、弟家族がはじめて日本に遊びに来てくれた時、私たちがドライブから帰って来たら、弟家族の洗濯を母が済ませていて、弟嫁嫁に対して言った言葉です。 どちらの言葉にも怒りが込められていて、みんなをびっくりさせました。 認知症とは気づいていなかったので、本当に悲しかったのを覚えています。 それから半年間、「前に戻った母」と付き合いました。 この頃は仕事も忙しかったので、出張中は「気を紛らわす」こともでき、色んなことにタッピングをすることもできていたので、表面的には毎日をこなすことができていました。 でも、昨日も書いたように、そこにはさらに40年前の出来事がまだ癒されていなかったから、表面的にしか感情解放が出来ていなかったのです。 それでも、タッピングをすることで毎日を乗り越えることができ、楽しい時間も味わうこともできていました。 「もし、タッピングがなかったなら~」と感謝しながら思っていた自分もそのころいました。 認知症を患っている家族のケアをされている方の気持ちが分かりました。 ニュースで見る、認知症のケアをしていた人々の悲しい事件の理由も理解できます。 認知症の介護が、外から見る以上に大変だと言うのを身に染みて分かりました。 そして、これからその体験を、介護をされている多くの人にいろんな形でシェアしながら、心身の平安を感じていただけるように貢献できたらと思います。 そのための貴重な体験だったと思います☆ 「よく頑張ったねって」自分を褒めたいとも思います~(*^-^*) 今、母は入院をしていて、入院期間が終わったらケアハウスに行く予定です。 不思議なことに、母とは今とても穏やかに話ができ、一緒に笑うこともあります。 母の話しはいろんな時代に飛んで、「今」何年前なんだろうと?と考えながら話をしています。 この様に話せるようになった「今」が嬉しいです☆

気づかなかった潜在的プログラムがあった

【今朝、気づいた、潜在的プログラム】 じわじわとネガティブが入ってき始めたのが2年前。 そう思っていました。 そして振り返ってみたら、それよりも4年前から感じていたことを思い出しました。 でも・・・、本当はもっと前、そう、40年前から始まっていました・・・ この気付きは今朝、静かに座っている時に、順番に現れてきました。     「2年前の記憶」 母の認知症が急激に進んだときです。 この頃から、母の物忘れ、繰り返しの会話や激しい感情に付き合うことになり、自分の時間というのを計画するのが大変になっていました。 出張やイベントなど、日時が決まっているものに関しては、母を一時的にショートステイなどに預けることができましたが、それ以外の日常生活中は母を一日中どこかで意識をしていなければならず、自分の時間が取れなくなっていました。 朝起きて、執筆をしよう、次の講座内容を考えよう、と思っても、母から何度も「邪魔」をされて、集中できない自分がいました。 母とは過去に、元々ネガティブな関係もあったので、「邪魔」されることに対して怒りが何度も湧き上がり、そのたびにタッピングをして、「その時」の怒りを鎮めることはできていましたが、正直なところ、この状況が毎日、一日何度も繰り返されるので、疲れている私がいたのです。 この時期にはもちろん、娘や息子も出来ることはしてくれていたけれど、やはり日々繰り返し、母と向合うのは私であり、日々の生活に心身共にしんどくなっていました。 心身共にしんどいので、思考も深く考えることができない・・・ そのため、その時に感じた悲しさや怒りはタッピングで消せても、その奥にある「問題」には意識を向ける余裕がありませんでした。 今思うと、この頃から、「私は一人でやらなきゃいけない」という思いが忍び込んでいました。 「頑張って!」「無理しないでね」って言葉は沢山の方々から頂いていました。そしてその言葉にとても感謝もしましたが、でも日常的に母と向合うのはやっぱり私。 次第に、色んな人との縁が薄くなっているように感じていきました・・・ あの頃は本当に心身ともに疲れていて、できるだけ笑顔でいることを意識していましたが、エネルギー不足状態で動いていたので、他の人に気づかいをする余裕があまりありませんでした。 「私のしんどさが分かってもらえない」と思う出来事も重なり、知らずのうちに「我慢」をしていたことに今、気づいています。 それでも、タッピングがなかったら、あの頃はもっと辛かったと思います。 日々感じる、悲しさ,寂しさ、そして怒り。それをその時に消すことができなかったなら、もっと大変なことになっていたと思います。 そして、そのすべてを創っていたのは私であることを今はとてもクリアに理解できます。 実は、子どもの頃にいつも思っていた「私を守ってくれる人はいない」というパターンにいつの間にか戻っていたのです。 2年前は、「誰もいない」というプログラムが潜在意識の中で動いていたのです。 この気づきが、今日、数十年ぶりに現れました。 それが明らかになったことを今とても感謝しています☆ タッピングで消せる、書き換える、プログラムが認識できました。 気付かないものは書き換えができません。 汚れに気づいて、そこを掃除するのと同じです。 今日は、そのことを中心にセルフケアをします☆ 引き寄せの法則を意識している私にも、書き換えのタイミングがありました。 このプログラムの書き換えのタイミングは「今」だったのです。 この書き換えをすることでどんな変化があるか、とても楽しみです♪   ・・・4年前についての気付きはまた次回・・・(^_-)-☆

Begin typing your search term above and press enter to search. Press ESC to cancel.

Back To Top