数十年をこの地球で生きているなら、なんらかの「苦労」を体験している可能性があるでしょう。 もちろん、苦労と呼べる状況を苦労と思わずに過ごしてきている人もいると思います。 他の人から見て、苦労をしているようであっても、本人にとってはそれほど大変に感じず、逆に感謝をしながら毎日を大切に生きている方々もいます。 それは素晴らしいと思います☆ でも、多くの人が過去に何らかのネガティブな体験をし、それを「苦労した」記憶として残しています。 たとえば、私の親の年代の方であれば、戦争中また戦後の生活を大きな苦労として覚えている人もいるかもしれません。 苦労があったからこそ、今があると言って、大変だった過去を振り返りながらも、今に感謝できている人もいます。 では、過去の苦労をどのように思えたら一番良いのでしょうか? まず、過去はすでに終わったことであることを意識することは大事です。 そして、たとえ大変だった状況であっても、それをすべて乗り越えてきた自分がここにいることを認め、ここまで来れている自分に感謝をすることも大事です。 様々な過去を体験してきた自分は、運動で言うなら、何度もトレーニングをし、丈夫な筋肉を鍛えています。 でも、筋肉も毎日毎日激しいトレーニングを受けるとダメージが起きます。 間に休息を入れることで、丈夫できれいな筋肉に成長します。 同じように、いつも「苦労をした」過去を振り返っているならば、今の生活にダメージが起きます。 過去の記憶から休息をとることが第一ステップです。 まずはネガティブな記憶から遠ざかりましょう。 (そして、気持ちに余裕が出来た時に、一つずつネガティブな内容を消していきます) 昨日の自分と今日の自分は明らかに変わっています。 そして、どのような状態に思えても、体験の度に新しいものを身につけて、自分なりに成長をしています。 時にはこの成長が直ぐには目に見えないかもしれません。 でも、昨日を体験したあなたは、明らかに一昨日の自分よりも経験豊かになっています。 その自分を認め、「苦労」と思えたものにも感謝をすることで明日の自分がさらに大きく変わっていきます。 このようにして日々成長している自分をぜひ、認めてくださいね。 そうすることで、明日のあなたの素敵な笑顔は今日より輝いて見えると思います~♪
「あなたから見て」あなたはどんな存在ですか?
みなさんは自分のことをどのように見ていますか? セミナーでもよく話すことですが、私たちは眼球が顔より内側にあるため、自分より「外」のものを意識を向けるのが当たり前になっていますよね? 眼球がびょ~~んと外に伸びて、「自分」を見ることができたら、何を見て、何に気づくでしょうね? そして、逆に瞳がくる~っと内側に入り、私たちの「内側」をのぞけたら、何を発見するでしょうか? 引き寄せの法則で望んでいるものを引き寄せるためには自分自身がそのものと同じエネルギーを発している必要があります。 「似た者同士」を引き合わせるのが法則なので、自分が楽しいや嬉しいと思えるものを引き寄せたい と思うなら、そのエネルギーをすでに創っている必要があります。 でも、多くの人はそのことに気づいていません。 つまり、自分を大切にし、与えられる存在であると愛情を持って自分を認めて、初めて、本当に、ほんとう~にほしいものを引き寄せることができるのです。 もちろん、一時的な楽しさを引き寄せたいのなら、それは単純に「今」楽しいと思うことをすればいいのですが、本当に長~くつづく幸せを引き寄せるには、まず自分を認め、素敵な存在として「自分が受け入れる」ことが必要です。 そこで、皆さんに一つのエクササイズを出したいと思います: 毎日、最低一ヶ月間、鏡に向かって「あなたは素敵」または「あなたは素晴らしい存在」と言ってください。 (他に「大好き!とか、かわいい~~!でもOKです☆) ここにはコツがあります。(これは大事ですので覚えていてくださいね!) 鏡で見るのはあなたの「外見ではなく、瞳の奥にある存在」です。 私たちが「自分」と思っている身体は私たちの言わば「車」みたいなものであり、本当の自分はその中で様々な「道」を運転してきました。 (山あり谷ありですね~) その「あなた」という存在に「ありがとう」と言って、感謝をするのもとても大事なことです。そうすることで、自分を認めさらにありがたいものを引き寄せることができます。 引き寄せは「自分」から始まります。その自分という存在を鏡を見るたびに認めてくださいね~♪
母が認知症だと気づいていなかった頃
母の認知症を通して気づいた、昨日の続きです。 4~5年前のこと この頃はまだ母が認知症だとは気づいていなかった頃です。 元々母はネガティブな人で、自分の思い通りにならないと厳しい口調で責める人でした。 他人には礼儀をふるまっていましたが、私や子供たち(母にとっては孫)には日常的に攻める癖がついていたので、子どもたちは「あーちゃんは嫌い」と言うようになりました。 それでも、68歳の頃に母も大きく変わりました。 この頃にエネルギーについて学ぶようになり、レイキを身に付けて、私もびっくりするくらい、とても暖かいエネルギーを放出するようになり、様々な人を癒すようになったのです。 この頃ハワイに住んでいましたが、日本に帰ってきた母をみて、「あーちゃんの着ぐるみを誰かが来てるの?」て言われるくらい、母の内面が変わってました。 私たちに対する接し方も柔らかくなって、それに慣れて、ホッとしていました。 そこから5、6年たち、「新しい母」と過ごしていたところで急に感情が時々乱れるようになったのを覚えています。 最初は時々だったので、なんでだろう~?と思うぐらいでしたけど、今思えばそこから認知症が始まっていたのでしょうね。 私が具合悪くしていると、泣きながら心配をしたり、ちょっとしたことで怒ったりしていたので、また前の母が戻ってきたと思いました。 その後も、一つのことにこだわって、何日間も同じことで文句を言っては、感情的になっていました。 でも、このころは認知症とは思わなかったので、私は「また始まった!」としか思えませんでした。 この頃に思い出す文句の一つが「私は洗濯ババじゃないんだからね!」です。 娘(母の孫)が出産をした後、「帰ったら大変だからうちに来るように言いなさい」と自分から誘っているのに、実際に我が家に赤ちゃんを連れて里帰りしている娘に言った言葉です。 また、弟家族がはじめて日本に遊びに来てくれた時、私たちがドライブから帰って来たら、弟家族の洗濯を母が済ませていて、弟嫁嫁に対して言った言葉です。 どちらの言葉にも怒りが込められていて、みんなをびっくりさせました。 認知症とは気づいていなかったので、本当に悲しかったのを覚えています。 それから半年間、「前に戻った母」と付き合いました。 この頃は仕事も忙しかったので、出張中は「気を紛らわす」こともでき、色んなことにタッピングをすることもできていたので、表面的には毎日をこなすことができていました。 でも、昨日も書いたように、そこにはさらに40年前の出来事がまだ癒されていなかったから、表面的にしか感情解放が出来ていなかったのです。 それでも、タッピングをすることで毎日を乗り越えることができ、楽しい時間も味わうこともできていました。 「もし、タッピングがなかったなら~」と感謝しながら思っていた自分もそのころいました。 認知症を患っている家族のケアをされている方の気持ちが分かりました。 ニュースで見る、認知症のケアをしていた人々の悲しい事件の理由も理解できます。 認知症の介護が、外から見る以上に大変だと言うのを身に染みて分かりました。 そして、これからその体験を、介護をされている多くの人にいろんな形でシェアしながら、心身の平安を感じていただけるように貢献できたらと思います。 そのための貴重な体験だったと思います☆ 「よく頑張ったねって」自分を褒めたいとも思います~(*^-^*) 今、母は入院をしていて、入院期間が終わったらケアハウスに行く予定です。 不思議なことに、母とは今とても穏やかに話ができ、一緒に笑うこともあります。 母の話しはいろんな時代に飛んで、「今」何年前なんだろうと?と考えながら話をしています。 この様に話せるようになった「今」が嬉しいです☆